東北アジア体育・スポーツ史学会 第6回大会(2005.8.21〜24、筑波大学)基調講演

わたしたちと近代の体育・スポーツ
−「21世紀オリンピズム」を求めて−

山本徳郎(国士舘大学)

はじめに

  約半世紀にわたって、私は体育やスポーツの実践的活動や指導にかかわりながら、同時にその歴史的研究をすすめてきた。そのなかで私が最も関心をもったのは、それぞれの時代に、人間や人間の身体、そしてその動きがどのように考えられ、扱われてきたかということだった。
  私は2003年10月に韓国体育学会50周年記念国際大会で、また2004年10月に中国体育学会第7回国際大会で、日本体育学会会長という立場で講演させていただいた。さらに2003年12月に台湾で行われた前回の東北アジア体育スポーツ史学会大会では、一研究者として発表を行った。どの場合も共通していた内容はこれまでの体育やスポーツは私たちにとって何であったのか、そして21世紀の体育やスポーツはアジァの立場からどのように考えたらいいのかという私なりの問題提起であった。今回は、東北アジア体育スポーツ史学会第6回大会の基調講演なので、この機会にこれまで私がアジアの3カ所で話をした内容を整理してみることにした。

近代社会の成立と体育・スポーツ

  ヨーロッパにおける近代社会というのは、それまでの中世的、封建的な時代から市民革命をへて成立する市民社会のことである。封建社会というのは国王や貴族といった身分をもっている者や大土地を所有する者が権力を牛耳っていた社会であった。それに対して市民社会は、身分や土地は持っていないがお金(資本)を動かせた人たちが中心となった社会である。封建社会から近代社会への変化とは、権力を握る者たちの拠り所が、身分や土地という動かないもの」(不動産)から金、資本という動くもの」(動産)への移行を意味していた。すなわち、動かない社会(静)から動く社会(動)への変化であった。
  典型的な市民革命といわれるフランス革命後のフランスにおいて、今まで静かだった社会が急に騒がしくなり周囲の動きが激しくなった状況を、バルザックは1833年に『歩き方の理論』 1) という作品で表現していた。この作品は「歩き方」という「人間の動き」を問題にしながら「社会の変化」を観察したもので、我々の領域からも興味深いテキストである。動きの乏しい社会から動きの激しい社会へ移行した近代社会の成立期に、我々の近代体育やスポーツが教育の一環として行われ始めた。これは偶然の一致かもしれないが、動きの激しい社会の誕生によって、そこで暮らす人々も動きに対応できる身体能力を養ったり、自分の身体を動けるようにしておくことが必要になった。これは当時制度化されはじめた学校教育のなかで身体教育、動きの教育が体育やスポーツという形で行われるようになった社会的背景と言えよう。
  18世紀末にドイツのグーツムーツを中心に始められた近代体育は、国民国家の成立やその後につづいた戦争の世紀を通して、国家の政策のもとに推し進められ、今日にいたるまで普及・発展してきた。他方近代スポーツは経済的には先進国であったイギリスの大学やパブリックスクールを中心に19世紀に組織され、発展した。パブリックスクールは将来のイギリスをリードするエリートを育てる場であった。当初彼らの行ったスポーツは階級的な性格をもち、肉体労働者と一緒にスポーツをすることをよしせず、アマチュアリズムというイデオロギーを背負っていた。このようにして始まった近代スポーツは、19世紀末にフランスのクーベルタン男爵の提唱した近代オリンピックの発展に乗じて、20世紀はスポーツの世紀とまで言わせたほど地球規模で拡大した。

近代体育は何であったか

  近代体育の父といわれるグーツムーツは1793年の主著『青少年の体育』 2) で、体育(Gymnastik)を「若々しい喜びにつつまれた課業(Arbeit)である」 3) と定義した。彼は自分の置かれた時代を近代社会の成立期と自覚し、人間の身体を新しい社会に役立つものへ作り変えねばならないと考えた。その手段(Arbeit)であった彼の体育は、子どもやその身体に苦痛を与えることが予想されただけに、「若々しい喜び」に「つつみこんで」、つまり苦痛を苦痛と感じさせることなく、喜びのなかで課業(作業、労働、苦役)として行わせようとしていた。「つつまれた」という部分は、ドイツ語では im Gewandeなので、「見せかけた」と訳すこともできる。19世紀の体育が、規律訓練された身体を要求していたとすれば、それは「若々しい喜びに見せかけた苦役」であったと読みかえることもできるのだ。
  ところでグーツムーツは近代社会に生きる人間の身体を体育によってどのように作り変えようとしたのだろうか。ここではグーツムーツが大変重視した「感覚」を「身体」の代名詞として注目し、その扱い方から彼の意図を探ってみる。彼は、「我々は感覚の誤りをさけていれば真実の光の帝国に到達できる」と考えた。だから感覚を通して真実に到達するために、誤りの原因を取り除くようにしなさい」 4) と述べ、「感覚訓練」に多くのスペースを割いている。つまり彼の意図は人間の感覚には誤りがあるからそれを修正するよう訓練せよというのである。そして人問の感覚をみな同じで正しいものにしようとしていた。
  グーツムーツは、いわゆる五感を対象に感覚の訓練を考えているが、例えば視覚の場合だと、遠くにあるものを識別したり、長さ、高さ、幅、深さ、重さ、角度、広さ(面積)、大きさ(体積)などを目測する訓練をやらせている。生徒が実際に識別し、目測したあとに、望遠鏡や巻尺、天秤などで実測された値と対比させてみる。この過程を繰返すことによって「目で測る技術を学ばせようとするのである。この過程をよく考えてみると、そこには生徒の示す感覚には誤りがあり、正しいもの、真実なものは望遠鏡で確認されるもの、巻尺などで測(計)れるものという考えがあるということに気づく。そしてそこには、この過程を繰返すことによって「感覚の誤り」を正していこうという教育姿勢が感じられる。感覚は誤りのあるもの、測れるものは正しいものという評価も存在している。
  このことから、グーツムーツの考える「真実の光の帝国」とは、巻尺や天秤などで測られた単純な数値によって示される「測定的事実」にすぎないことが理解できる。しかもその値いは一応普遍性をもつとは言え、個々の人間にとってはかけ離れたものであり、あまり意味のないものなのである。そして生徒が感じた「感覚的事実」なるものは、正しくないものとして全く評価されていない。つまり人間的本性を示す「感覚の誤り」を含む「感覚的事実」を無視して、極めて機械的な「測定的事実」のみが注目されているのである。グーツムーツの感覚訓練は、結局感覚の誤りに示される人間的本性をできるだけ機械的な測定的事実に近づけようとする訓練だったと言うことかできよう。 5)
  現代の体育やスポーツは、科学的な指導という名のもとに、人間を測る営みが盛んに行われている。その結果が指導に用いられるだけでなく、評価にも結びついていることは周知の事実である。私は長年体育やスポーツの現場に身を置きながら、このことに違和感を抱いてきた。20世紀の思想家ホルクハイマーとアドルノの「肉体への関心」という草稿に出会ったとき救われたように感じた。彼らはユダヤ人であるがゆえにアメリカに亡命せざるをえなかったドイツ人であった。「肉体への関心」の中で彼らは「ユダヤの故知は、人間を寸法で測ることへのためらいを教えている。なぜなら『死者は−棺桶に合わせて−測られる』からだ。ところが、それこそ身体の操作者たちがよろこびとする事なのだ。彼らは、それと気づくことなく、棺桶作りの目つきで他人を測っている」 6) と言っている。
  ホルクハイマーとアドルノやフーコーという現代思想家に多くを学び、20世紀の「自然体育」も含めて近代体育を批判的に検討したケーニヒは、汎愛派のところでは「規律訓練的秩序によって、生徒たちから測定不能なものがしめだされた」 7) と言い、近代の体育や教育では測れないものが除かれたことを指摘していた。

近代スポーツは何であったか

  近代スポーツは、19世紀に成立したばかりであったが、その世紀の末にはじまった近代オリンピックに刺激され、20世紀になるとヨーロッパを中心として世界的に拡大し、大衆化がすすめられた。20世紀はじめには、すでに20世紀がスポーツの世紀になることを予想した作家すら存在していた。1932年(第10回のオリンピックが行われた年)にドイツの或る雑誌がスポーツ特集号を出した。その冒頭は「20世紀の世界宗教−120世紀の作品から−」というもので、内容は1万年の時間的隔たりを想定しながら20世紀を考古学的に回想する形で書かれていた。20世紀のヨーロッパ・アメリカ文化圏を支配していた宗教は、キリスト教ではなくスポーツという名の「新しい世界宗教」だった。この宗教は古いキリスト教を完全にしめ出し、十字架というシンボルをボールに代えた。ボールの形は有限の中に含まれる無限のシンボルとして、また完全で最高の形をしたシンボルとして価値があったという内容であった。この興味深い物語はローテの論文 8) に引用されたものだった。これは、20世紀はスポーツの世紀になると予想した人物が20世紀初頭すでに存在していたことを実証するものだし、そうなる芽を当時のスポーツが充分持っていたことを示している。
  しかしこのような時期にすでに近代スポーツヘの疑念を提示した人物がいた。オランダのホイジンガである。『ホモ・ルーデンス』(1938)の著者として有名な彼は隆盛しつつあった当時のスポーツに対し、その文化機能、つまり人間形成機能に疑問を示していた。彼は文化の根源的要素として「遊び」を考えていたが、彼はその著書の最後の第12章で、スポーツはすでに「遊び」の領域を去っていると言っているのである。しかもその時期を我々が近代スポーツの成立期としている19世紀最後の四半世紀からだと言している。 9) 「遊び」が文化を形成する、つまり人間を人間にする機能をもつ重要な基礎的要素と考えたホイジンガは、その要素が少なくなっていく20世紀のスポーツの非人間化傾向を予感し、それを指摘したのである。それだけではなく、ホイジンガは「遊戯(遊び)」という概念を用いて、スポーツのみならず近代社会からも遊戯性が欠落していく状況を示し、社会全体の非文化化、非人間化傾向にたいして警鐘を鳴らしていた。
  『ホモ・ルーデンス』は、1963年に日本語訳が出版され、我々の領域でもかなり読まれ、論文にも取上げられてきた。しかし「第1章が本書の中核」と解説する訳者の言葉に引きずられてのことか、体育やスポーツの領域で論じられたのは第1章に含まれる遊戯の形式的特徴としての自由性、非日常性、完結性と限定性ということにとどまっていた。つまりホイジンガの真意にせまる読まれ方や研究は行われていなかったように思われる。
  歴史家として数々の業績を重ねていたホイジンガは、『ホモ・ルーデンス』において単に遊戯の理論を展開したのではなかった。彼は「遊戯」という概念を用いて当時の社会の非人間化を訴えている。スポーツも近代社会の産物として登場するが、これの文化性も否定的に論じられている。この書を良く読んでみると、ナチスによる管理社会化への不安が感じられ、それはむしろ危機感と怒りにみちた警告の書、抵抗の書と言った方がいいように思われるほどである。これは1938年に出版されたが、その翌々年にオランダはナチス・ドイツ軍に侵攻され降伏するという緊迫した時代の所産だったのである。
  オランダを占領したナチスは、ホイジンガが学長をしていたライデン大学を閉鎖し、彼を強制収容所へ送る。周知のように、ナチスは第一次世界大戦後のワイマール時代に徐々に勢力を拡大し、1933年にはヒトラーが政権を獲得するまでになった。その支配のもので1936年にベルリン・オリンピック大会が開かれたことはあまりにも有名である。隣国ドイツのナチス勢力の拡大を肌身に感じながらオランダで執筆されたのが『ホモ・ルーデンス』であった。本書は表面的にはマルクス主義文化への批判という形をとり、実際にコミュニズムの非文化性を論じているが、ホイジンガが本当に批判したかったのは、むしろナチズムの台頭ではなかったかと思われる。
  ホイジンガによると、スポーツは19世紀末にすでに文化因子たる「遊び」要素を失っていた。それ以後今日までのスポーツの進展には、その傾向が強化されことはあっても、遊び要素の復活を感じさせることはなかった。スポーツに教育的機能があったとすれば、そこに人間を人間にする「遊び」要素が存在していたからであった。それが失われつつあるとすれば、21世紀のスポーツをわれわれはどのように扱ったらいいのだろうか。

21世紀オリンピズム構築へ

  20世紀に芽生えた体育やスポーツヘの批判的眼差しを、我々はどのように考えたらいいのだろうか。
  今日まで我々は体育やスポーツの人間を人間にする機能(人間の文化化機能)を疑わず、人間教育、人間形成の手段としてその価値を認めてきた。筆者もその機能の存在を疑うものではないが、従来の役割には疑問を感じるようになっている。これまでの体育やスポーツが考えていた人間の捉え方にそぐわぬものを感じているからだ。
  『文化の理論のために』の著者竹内芳郎は、人問の根源、文化の根源を考え、文化の理論を新たに構築しようとした。彼は、「昼の勤務時間中、ユダヤ人たちをガス室へ放り込んで毒殺することに精勤していたナチ党員たちは、夜になると、ユダヤ人たちの皮膚でつくった電気スタンドの傘のもとで、ゆったりとパイプをくゆらせながらモーツァルトの音楽を楽しんでいたという。ユダヤ人虐殺とモーツァルトの音楽と…この二つを不可分のものとして産み出すものこそわたしたち人間の文化の本質なのだ」 10) と言い、この現実から、彼は人間とは何かを探りはじめ、人間を人間にしている文化の根源を考えようとした。
  竹内は、人間同士殺し合う上記のような状況をもし犬が見たらなんと言うだろうと問い、犬は恐らく「彼ら(人間)は狂っている」と言うだろうと答えていた。人間が人間同志で殺しあうのを見た犬はそのことが理解できず、他の正常な動物、つまり同種同士では殺しあうことのない他の動物に比べて人間という動物は狂った存在なのだと理解したのだ。竹内はこのことから、人間はホモ・サピエンスという万物の霊長などではなく、狂った存在(動物)、つまりホモ・デメンスなのだと論じた。 11) 人間はこの狂いを補う装置として文化を生み出し、それによって正常な動物として振る舞うことが可能になったと言うのだ。
  「狂い」ということは人間を理解するうえで重要な概念である。グーツムーツで示した「感覚的事実」と「測定的事実」の違いも、この問題に通じている。狂いのない、あるいはあっても少ない他の動物にくらべると、人間は「狂い」があることで他の動物と区別されている。人間の狂いの状態は様々で、その幅の違い、レベルの違いが個性を生み出しているとさえ考えられる。人間が人間になるということは、狂いを少なくしたり無くしたりすることではなく、むしろ逆に狂いを保てるように配慮し、そこからそれぞれ違った個性が育つようにすることである。竹内芳郎は、自分の発想は三木清の「構想力」に通じると述べ、 12) 「構想力」というきわめて人間的な機能に狂気性との絡み、遊戯性との絡みを感じながら論述しているように思える。三木清はデカルトを批判したパスカルにも親近感をもっていた。彼はデカルトのあまりにも合理的、理性的な考え方を批判し、人間をデカルトとは違った角度から構想していたのである。
  近代社会は管理化傾向が強く、ともするとこの「狂い」を狭めようとしている。体育やスポーツの機能にも同じことが言えると思う。それだけに、今日ひそかに進行している体育・スポーツの非人間化傾向に注意しなければならない。ホイジンガに言わせれば「遊び」の領域を去ったといわれる現代のスポーツを、21世紀を迎えた我々は如何に扱うべきなのであろうか。21世紀のスポーツは、恐らく各地域に存在する個性的で伝統的な運動文化と所謂近代スポーツとが融合しつつ、新たな道を模索しながら展開されることであろう。アジアの体育・スポーツも、この線上で考えていかねばならない。
  アジアの立場からという表現に接して私の頭にまず思い浮かぶのは一昨年亡くなったサイードの言葉である。周知のように、19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパ諸国は帝国主義的な植民地政策を競い合うように進めた。その具体的な状況をサイードは主著『オリエンタリズム』で、「1815年から1914年までに、ヨーロッパの直接支配下におかれた植民地領土は地表面積のおよそ35%から85%にまで拡大した」 13) と述べている。つまりナポレオン以後のヨーロッパを議論したウィーン会議の頃(1815)は地表面積の35%だったものが、第一次世界大戦がはじまる頃(1914)には85%がヨーロッパの国土乃至植民地になっていたというのである。『オリエンタリズム』に込められたサイードの意図は、この誤りを第二次大戦後の、つまり今日のアメリカが繰り返そうとしていることへの警告・怒りを表明することだったが、我々は、20世紀に体育やスポーツが世界中にひろまった背景には、このような帝国主義的植民地化が平行していた事実を忘れてはならない。それを進めていた国は、近代体育誕生の地ドイツ、近代スポーツ発祥の地イギリス、そして近代オリンピック提唱の国フランスが中心的存在だったのである。
  1971年に日本の名古屋で世界卓球選手権大会が開かれた。そのとき文化大革命直後の中国選手団が「友好第一勝敗第二」をスローガンに活躍したことを、印象深く覚えている。そのとき私は我々の領域の新しい幕開けを感じたものだった。
  昨今のオリンピックは、地球上の半数の人口をテレビの前に集めるといわれている。つまり人々に与える影響はきわめて大きい。スポーツ・イベントのこの機能をできるだけ活用して、オリンピックをもっと地球上のひとびとに貢献できるように改革していけないものだろうか。20世紀型のスポーツは薬物ドーピングに見られるように、極めて危険な方向へ進みつつある。この傾向はそのうち「DNAドーピング」へと向かうことが予想される。私の同僚が、競技者は近い将来、メダルか命かの選択をせまられる時代がくるのではないかと述べていた。競技中心主義、勝利至上主義の傾向の強い20世紀型スポーツの転換がせまられている。
  昨年のオリンピック・デーだった6月23日に、われわれはJOAや日本スポーツ学会を中心に「オリンピック休戦を日本から呼びかけよう」というイベントをおこなった。古代オリンピックのエケケイリアを現代に持ち出すことはナンセンスだとの誹りを受けるかもしれないが、現在10Cは「オリンピック休戦財団」を組織し、オリンピックの休戦を実現する努力をしているし、国連もオリンピックのある2年ごとに、総会で「オリンピックの休戦」を決議している。私は、21世紀のエケケイリアは「休戦」にとどめるのではなく「反戦」にまで高めたいという思いで、現在「21世紀オリンピズム」を構築するための研究を進めている。14)
  「オリンピズム」いう言葉は、一般の辞書にはなく、クーベルタン自身か、当時のジャーナリズムが作り出した言葉のようである。15) これまでのオリンピックは西欧文明の拡張主義の一形態であり、西欧化の要因として機能してきたことは周知の事実である。「21世紀オリンピズム」の研究では、オリンピズムという概念を中心に据え、しかも西欧中心のオリンピック研究に対して、これを相対化できるオリンピック後発国からの視点を提供しながら、体育やスポーツのグローバリゼーションの今後をどのように方向づけていくべきかについて検討しなければならないと考える。「21世紀オリンピズム」は、単なるオリンピック主義ではなく、「遊び」性、「狂気」性、「構想力」といった文化性豊かなエネルギーを醸成できる21世紀の体育やスポーツ等、身体文化、運動文化にかかわるすべての領域を含める総称で、世界平和にも貢献できるものでなければならないと考えている。
  近代の教育は、常に個性の尊重、主体性の確立など「個」に関するスローガンが叫ばれていたが、これはあくまでも「みせかけ」 16) であったにすぎず、事実はそれと裏腹に、人間の規格化、画一化を推し進め、教育及び体育・スポーツは、常にそのための訓練を担わされてきた。このような閉塞した現状を打破し、人間が再び人間らしく存在できるような方向性を、我々は体育やスポーツという領域を通して探らねばならない。


1) バルザック(1833)歩き方の理論(バルザック、山田訳1992、風俗研究、藤原書店79-146)
2) GutsMuths (1793) Gymastik für die Juged (ここでは1957年のBerlin版を使用)(グーツムーツ、成田十次郎訳『青少年の体育』不昧堂出版、1979.)
3) 成田十次郎(1977)近代ドイツスポーツ史1学校・社会体育の成立過程、不昧堂出版153
4) GutsMuths (1793)、 s.356
5) 山本徳郎(1988)グーツムーツの感覚訓練 — 18世紀末ドイツ体育への一考察 — 、奈良女子大学大学院人間文化研究科年報4、1-11参照
6) ホルクハイマー、アドルノ、徳永訳(1990)啓蒙の弁証法、岩波書店、374
7) ケーニヒ、山本徳郎訳(1997)身体−知−力 身体の歴史人類学的研究 不昧堂出版、136
8) Roth, W. (1981) Sport und Literatur in den Zwanzigerjahren, In: STADION VII,131
9) ホイジンガ、高橋訳(1973)ホモ・ルーデンス、中公文庫、399
10) 竹内芳郎(1981)文化の理論のために、岩波書店、4
11) 竹内芳郎、前掲書58
12) 竹内芳郎、前掲書3
13) サイード、板垣他訳(1986)オリエンタリズム、平凡社、41
14) 山本徳郎(2003)21世紀オリンピズム構築のための基礎的研究、国士舘大学体育学部附属体育研究所報、第22巻、95-102
15) 前掲所報97(清水重勇氏講演「21世紀のオリンピズム…?クーベルタンに訊く」より)
16) 山本徳郎(2002〉「みせかけ」型体育からの脱皮を!、学校体育、第55巻第3号、23