フランスは現代における思想の場です。またもやフランスの哲学者の作り出した言葉を日本の「21世紀論」に適用するテキストです。
  一つの国の大衆の情報化が進行していくとどんなことが起こってくるのか…、近代的な個の自立と孤独…などという人間観はとうの昔に大衆という数化された人間には通用しない。だから近代なんて無力だなどと思い込むのは早計ですね。このフランスの哲学者の頭の奥底にあるものは近代的思考ではないでしょうか…。近代的思考が差異化という働きを発揮して生産した「象徴的貧困」という概念なのだと思います。
  ところで、ここに書かれている危機状況を現代のスポーツに当てはめるとどうなるでしょう?

朝日新聞2006年2月15日 水曜日 文化欄 《思想の言葉で読む21世紀論》

象徴的貧困

過剰な情報が画一化促す

  情報やイメージ、映像があふれる現代の社会で、人々の関心や話題がひとつの極に向かっていく奇妙な現象がみられる。どのメディアでも同じ人物がもてはやされ、時には嵐のようなバッシングを浴びる。社会全体の空気も特定の方向に傾きがちだ。
  「メディアの多様化と逆に、人間の精神面では画一化が進んでいる」と見るメディア学者の石田英敬氏(東京大教授)は「背景には、情報が増えすぎたために、象徴的貧困化が深刻になっているという問題がある」と指摘する。

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 同じイメージや顔があふれる。「メディアの多様化はいつわりの多様化にすぎない」とスティグレール氏は語る

  「象徴的貧困」とは、過剰な情報やイメージを消化しきれない人間が、貧しい判断力や想像力しか手にできなくなった状態をさすという。
  フランスの哲学者ベルナール・スティグレールが使い始めた言葉で、「メディアがつくりだす気分に人々が動かされがちな日本の現実にこそふさわしい」と石田氏が訳語を考えた。
  「情報社会の中で増え続ける大量の情報に追いつくためには、情報の選択や判断までを自分以外の誰かの手にゆだねざるをえなくなっている」と石田氏は語る。「結果として、政治や社会などの重要な問題についても、誰もが同じような感想や意見しかもてなくなつている」
  昨年12月末、東京・駒場の東京大で「象徴的貧困」をテーマのひとつにした国際シンポジウムが開かれた。フランスから参加した哲学者のスティグレール氏にインタビューする機会があった。
  「現代の大きな危機は、象徴的貧困が進んだために、自分と他の人間を区別する境界があいまいになったことなのです」とスティグレール氏は言う。「その結果、自分が確かに存在しているという感覚が失われ、自分を本当に愛することもできなくなっている。そうした人間の危機がさまざまな社会問題や事件も引き起こしている」
  特に犠牲になっているのは、幼い時から大量の人工的なイメージに囲まれた子供たちだという。「文化産業によって人間の意識や精神までがコントロールされる。こんな時代は歴史上なかった」
  メディアの多様化は進んでいるのに、なぜ人々の意識は同じ方向に向かうのか。それは、どのメディアも同じ数量化された商業主義的な枠組みで情報を扱っているからだという。「メディアの多様化と言われているのは、実は偽りの多様化にすぎない」
  象徴的貧困からの出口はないのか。スティグレール氏は個人が情報を発信できるインターネットには期待を寄せる。「情報のつくり手と受け手が同じ立場に立つ自由な共同体が生まれる可能性がある」

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  しかし、IT化の進行は別な問題を引き起こしていると見る研究者もいる。
  社会学者の北田暁大氏(東京大助教授)は「インターネットによって新しい形の象徴的貧困化が進んでいる」と指摘する。
  「ネット空間には趣味や関心による共同体が生まれている。そうした同質的な空間の中では同じような情報だけに接してすませることができる」と北田氏はいう。
  「自分たちと違う価値観や異質な見方と向き合う必要がない。ある意味では、マスメディアの時代よりコミュニケーションは貧しくなっている」
  さらに問題なのは、一人一人の個人に合う情報を前もって選択してくれる新しい技術の進化だという。たとえば特定の趣味や傾向をもつ人には、ネットの接触履歴などを機械が自動的に読み取り、同じようなサイトや本の情報だけを選んでくれる。
  「いつも自分にとって快適な情報だけに囲まれていることになる。情報は多様化していても、実際に個人が手にする情報は多様だとは言えなくなつている」
  20世紀の英国の作家ハックスリーは、未来小説の中で、機械文明の力で人間が強制的に満足感や充足感を感じさせられる空想の社会を描いた。シェークスピァを引用しながら皮肉を込めてつけた小説のタイトルは『すばらしい新世界』だった。
  不快な情報は前もって消去され、心地よい情報だけに囲まれて人々が快適に生活する21世紀の未来社会。それは今度は本物の「すばらしい新世界」なのだろうか。

(編集委員・清水克雄)