和辻哲郎が、西田幾多郎とともに近代日本におけるもっともすぐれた哲学者であると考えるのは私一人ではあるまい。心の奥底に思弁の穴を掘り、一生その穴をますます深く掘り下げた「真理の坑夫」というべき西田とは違って、和辻は、多くの文化現象を見ることによってひらめいた着想をみごとに体系的な書物にした「認識の狩人」というべき哲学者であると私は思う。
和辻の業績は実に多方面に及んでいる。奈良の仏像を、西洋美術をみる目で語った『古寺巡礼』、実存主義の開祖、ニーチェやキェルケゴールについていち早く論じた『ニイチエ研究』と『ゼエレン・キェルケゴオル』、日本の思想を解釈学の方法で解明した『日本精神史研究』、及び倫理学を、西洋の多くの哲学者のように個人の学ではなく人と人との間柄の学として考えた『人間の学としての倫理学』と『倫理学』など、いずれの著作においても和辻の着眼は新鮮であり、その文章は甚だ論理的であり芸術的でもあった。
しかし和辻の主著といえばやはり『風土』であろう。和辻によれば、この著書は二つの動機によって書かれた。一つは、和辻が昭和二年、文部省在外研究員としてヨーロッパヘの旅に上ったとき、船の中で京都大学農学部の大槻正男助教授から、ヨーロッパには雑草がないと聞いたことである。もう一つは、彼がハイデッガーの著書『存在と時間』を読んで、ハイデッガーが時間性を重視したことに感銘を受けつつも、空間性に則せざる時間性は真の時間性ではないと考え、空間性を哲学的に追究しようとしたことである。
和辻は、「風土」を「土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称である」と定義する。この「風土」の概念によって彼はユーラシア大陸を三つの地域に分かつ。
(一)インド東部、インドネシア、中国、日本などを含む東アジアの風土を和辻は「モンスーン」と名づける。モンスーンは、夏季は南西から、冬季は北東から吹く季節風で、湿潤という恵みとともに脅威をそこに住む人間に与え、人を受容的忍従的にする。
(二)インドの西部からアラビアにかけての風土は「砂漠」である。砂漠に住む人間は対抗的戦闘的である。このような砂漠的な風土から人格神が生まれた。人格神はもともと部族神であったが、ユダヤ教やイスラム教などによって他の神を攻撃する絶対的な唯一神になったと和辻はいう。
(三)ユーラシア大陸の西のヨーロッパでは冬に穏やかな雨が降り、麦とともに家畜の餌になる柔らかい草を育てる。その雑草なき風土を和辻は「牧場」と名づける。和辻は、牧場の文明はギリシアに発生したが、そのような風土に住む人間は合理的競闘的であるとする。
この著書にはいたるところに和辻の鋭い文明観があり、今読んでも教えられることが多いが、風土を国家の運命を決定するものと考えたために、訂正を余儀なくされるところもある。たとえば、モンスーン的風土のもとに立つ中国人は甚だ受容的忍従的であるため、中国ではロシア風の革命などは起こり得ないとしているが、中国革命が起こったからには、和辻はこのような叙述を改めざるを得ず、この部分は昭和二十四年の十三刷において書き直されている。また、日本人は「家」という観念を重視するので西洋人のように巨大な共同住宅に住むことを好まず、貧乏でも一戸建ての家に住むとしているが、このような家の観念はマンションに住む現在の日本人にはもはや存在しないといってよかろう。
『風土』は、世界の文明史を複眼でみる視野を開いたすぐれた哲学書であると私は思う。歴史はすべて一元的な発展段階を経て発展するものであり、西欧の先進国はその発展の頂点にあるが、発展の遅れた非西欧の国もやがては西洋のように発展するというヘーゲルのような歴史観が十九世紀末までは圧倒的に有力であつた。和辻のこの書は、西洋文明以外の文明、特に東洋文明の意味を解明したものとして高く評価されるべきであろう。
しかし『風土』には、農業の比較研究が欠如しているという欠陥がある。モンスーン地帯で生まれた農業は養蚕を伴う稲作農業であり、牧場地帯に生まれた農業が牧畜を伴う小麦農業であることを考えれば、二つの農業を比較し、それらの農業がどのような精神文明を生んだかを考察しなければならないと思う。人類は、約一万三千年前にユーラシア大陸の東と西に稲作文明と小麦文明という二つの文明を生み、それぞれその文明が成熟して、約五〜六千年前に都市文明を生んだ。そして西の文明からギリシア哲学やユダヤ教、キリスト教、さらに近代西洋文明が生まれ、東の文明から仏教、儒教、道教が生まれたのである。
和辻の『風土』に展開された歴史観は多元的な文明史観への端緒を開くものであるが、労働、生産の概念を入れることによって、その歴史観ははるかに具体的なものになると私は思うのである。
(哲学者、題字も)