近代教育における身体的なるもの    教育学における身体知の自明性

近代体育とクーベルタン:体育学の教育思想史

日本体育学会『体育学研究』 第46巻第3号 総説論文

目 次

 はじめに

 1.近代体育の教育思想史

 2.身体運動の言語コード化

 3.教育的技芸観の変遷

 4.20世紀新体育の身体

 5.オリンピズムの身体と文化

 6.要約と考察

 7.英文抄録 (English Summary)

 8.引用注 (Note & Reference)

キーワード: 近代体育 身体 文化 オリンピズム 思想史 文明史 運動記述

 

はじめに

 本稿は、ピエール・ド・クーベルタン(Pierre de Coubertin, 1863-1937)が提起したスポーツによる教育学の変革という思想課題を近代体育の展開過程の中に含めて、その教育思想史上の意義を考察し、現代日本の体育学へのひとつの問題提起として論考する。
  グーツムーツらの汎愛学校の実践は、近代教育に対して身体運動の役割の重要性を示した。クーベルタンのオリンピズムは近代教育に対してスポーツの役割の重要性を示した。過去、二つの世紀の節目に体育が教育全体に対して挑戦したのだが、今回の世紀の節目には、体育学から教育学への役割の可能性はあるのだろうか。そのような必要性が今さらあるのだろうか。


 体育学は今日ようやくスポーツという文化(科学を含む)を手にし、独自の社会活動の領域を開拓しており、長い間の腐れ縁であった教育学の下請け役とという鎖を断ち切りつつあるのではないのか、といった批判に対して筆者は、それは早計ないし見込み違いであり、かりに可能であるとしても、その道のりはきわめて厳しい、と答えておきたい。

現時点において、体育学の関係者の職業の中核は、広い意味での教育サービスなのであり、ごくまれな例外を除けば、教育以外の仕事で社会的責任を全うできるような社会の基本システム、たとえば古代ギリシアの「ギュムナスティケー」といった一元的価値(ヘレニズム)を開花させた文化システムのようなものを構築することは、われわれにはユートピアであると考えるからである。

 現代の学術領域の融合による新しい人間学の流行の中で、体育学という分野は多様な基礎学の応用が可能な分野、有望な分野であると考えられる傾向が見られる。しかし、それは逆に多様な学術的依存関係(利害関係)に支配されているということでもある。また、価値多元化時代と呼ばれ、価値の一元化が困難な現代にあって、体育学は何のためのものなのかといった問いに対して多元的価値観からの回答が考えられ、体育学の統一的イメージすら明確ではなくなってきている。しかし、学会がその存在理由として有力な共通の原理を持たないままに、ただ多様な価値を自由原理にしたがって容認すれば、これまでよりさらに専門分化が激化し、分裂や融解に向かうかもしれない。


 

1.近代体育の教育思想史

 近代体育の成立期である18世紀後半から19世紀初頭にかけて、新しい時代への模索から、市民社会を構築する不可欠な分野としての教育への期待が強くなり、人間の生き方を決定づける作用である教育をめぐる哲学的論議が数多く現れた。そして、アンシャンレジームの教育とは異なる実践が生み出される。ドイツにおける汎愛派の教育改革運動はその一例である。この流れの中で、近代体育が成立していく。山本(1) はケーニッヒに依拠し、筆者の理解によって要約するなら、この近代体育の原理を数学的機械観(計ることに象徴される)の身体への貫徹過程であることを指摘し、近代体育が教育的人間学から大切なものを喪失していく原点として描いている。これを身体の眼差しの科学化の過程と考えると、そのはじまりはかなり前から起こっていたと言える。グーツムーツはその第一の収束点であり、身体は人間の存在条件として一般化されていったと考えてよかろう。この身体の一般化ということについて、もう少し思想史的事実を検討しよう。

 ヴィガルロ(2)は姿勢教育に限定して、その「計ること」によって

人間の身体的価値を記述することが、16世紀から長い歴史をかけて成立するフランスにおける過程を描いている。人間の姿勢の良し悪しに関わる記述のほとんどすべてが道徳的言説としてなされていたのであり、身体内部の構造にも身体の静力学(直立姿勢を重力の作用から説明する)にも触れず、もっぱら身体の外皮(服装)が空間に占める輪郭に集中していたという。しかも、身体は見られる対象としてとりわけ意識され、垂直な不動の姿勢の規範は、身体的機能の問題ではなく、できる限り心の動きを「そぶりに」出さないという儀礼的道徳の問題として語られていた。(3) エリアスは『宮廷社会』(4)の中で、何故このような「モード」が強い強制力を持ちえたかについて描いていることは周知のとおりである。このような時代、身体運動は姿勢を「しなやか」にする手段とされていたが、身体運動といっても乗馬、剣術、ダンス、といった技芸を指しており、その師範たちは技を数字や図によって記述を行っているにしても、それは技の型を特定し、権威づけるためのものであった。この状況をヴィガルロは次のように総括している。

 


 「姿勢教育論は身体運動から利益を引き出すというよりは、むしろ身体運動の習熟の妨げになる傾向があった。 (….)稽古のためになるようないろいろな活動から利益を引き出すとか、巧みさは訓練の賜物だとか言いながらも、その運動たるや姿勢の繰り返しであって、大きな力動的な移動運動ではない。結局、優先されているのは身体を通して便宜的なイメージを固定することだったのである。(5)

 要するに、文化的形態をとっている乗馬、剣術、ダンスといった運動種目の稽古は、人間の心のかたちを形成する教育そのものであり、身体機能に一般的影響を及ぼす手段という着想、あるいはそれを可能にする基本的な思考の枠組みがそこにはなかったのである。もちろん、ジュドポームやパローネといった宮廷的遊戯の種目についても同じであったろう。各種目が個々ばらばらに自立ないし孤立していたということである。ヴィガルロの指摘より先に、スピヴァック(6) は軍隊の身体トレーニングの理論的変遷過程についてこの事実を指摘し、フランス軍制改革の中で歩兵の訓練の中に一般的身体トレーニングとしてのジムナスティークが現れてくるのは、ギベール(7) の『用兵学総論』(1770)あたりとしている。(8)

 18世紀後半になると、身体を明確な論述の対象とする教育文献が多数でてくるようになり、身体の完成という言葉とともに衰退(dégénération)という言葉が盛んに用いられるようになる。 多くの書物が人口減少を衰退という言葉と結びつけて、身体器官 (organes)を鍛え直す必要を説いている。ヴィガルロの解釈によれば、人口学的事実としては、安定あるいは緩やかな人口増が見られたこの時代に、何故このような恐れを煽る言説が一般化したのかというと、具体的には、それは乳飲み子への眼差しが強まり、新しい配慮が問題だったからだという。そして、人間の身体の自然的構造への脅威が語られ、貴族的生活法の人為性や気取りへの批判が生み出されるとともに、粗野で活発な態度と体力の強さが重要なものと考えられるようになる。(9)
 教育思想史から見ると、このような身体への眼差しの変化ないし逆転は、近代国家を構成する新しい市民像の出現、ならびにその教育目的の具体化の手段としての新しい教育的言説の正当化ということと切り離せない。それと連動して、身体の教育という分野が近代教育理論の中心的課題のひとつとして登場してくるのである。


 ユルマン(10) は、古代から現代までの教育学説の中の身体的なるものに関わる言説を検討しているが、その近代に関する哲学的検討の >結論を要約すれば、18世紀後半の教育論の身体概念は他の時代には見られない独特のものだという。つまり、身体一般が教育によってはじめて必要な対象であると明言されたということである。 これら近代体育の出発点となる諸変化は、さらにその根底において西欧近代科学のパラダイムの形成過程と無縁でない。

 近代体育の基礎理論は、人間の存在のカテゴリーとしての身体を発見したことにおいて、すでに目的・原因論からの分離という悲劇的運命 に突入する。身体は、霊に対する肉の概念ではなく、広がる実体(レース・エクステンサ)の一存在様態としての身体と見なされる。身体は本質的に道徳とは無関係であるかわりに、自らを自己規定することはできない。身体は自ら語らなくなる。

  これに対して、思惟する実体(レース・コギタンス)としての精神は身体を思惟し、身体について語るのである。身体において生成する時間軸もまた、思惟によって自在に操られる物理的時間軸となる。こうして身体の数量化の知的条件が完成する。「時間はからだの時に侵入し、時間を介して権力のあらゆる微細な統御が侵入する。」(フーコー) (11)

 

 一方、歴史の時間軸の中で生身の身体が経験してきたことはどのようなことだったのか。チボーは『フランス教育におけるからだの冒険』 (12) の中で、この問題を検討している。チボーよれば、道具としての身体は、太古から広い意味で教育の対象であり、戦争のテクノロジーが発達するにつれて多様かつ高度な技法のために使用されてきたし、今日のスポーツ競技は身体の道具利用の歴史の到達点だという。一方、心や思考が宿る場所としての身体は、ある時代には忘れられていたり、見て見ぬふりをされたり、寛容な扱いを受けたりしてきたのだという。

 ルネッサンス人の教育の世俗的側面を特徴づけたのは、次第に変質する中世武術を中心とする技芸的教育であり、学問=宗教的側面を特徴づけたのは次第に組織を確立して行く修道会教育の中の身体配慮であった。これらはそれぞれ、武力によって戦う者(ベラトーレス)と弁舌によって戦う者(オラトーレス)の、二つの社会=職業的集団の教育の中に定着し、それぞれの価値観を強化していった。 (13) ルネッサンスの紳士教育論は、この両者の中間にあって、特定社会層の人間の理想「ガラテオ」や「コルテジアーノ」など、知性と技芸の秀でた礼儀人(教養人)のための身体配慮と技芸的徳の形成を要求するものであったと言えよう。


 この時代の教育における身体は、諸個人の社会的運命の不安に対決する自己のかたちとして個別的主観的な生存の課題を担わされていた。ルネサンス都市市民の身体モデルは、健康、善、美を統 合するギリシア的塑像や文学上の英雄像としての「姿」であり、諸個人は、このような姿を介して自己の道徳的正当性を身にまとい、運命を切り開こうとしていた。アカデミーの学芸(剣術、乗馬、ダンス)は、この個別的人間の形式を規定する技能内容(技法)としてそれ自体、独立した価値体系(教養)を形成していたのである。この都市市民の教育要求は、技芸家の社会=職業的自立をもたらし、軍事的技術の洗練化とアカデミーの技芸教育の発展を実現する。とりわけブルーゼ (14) 以降、整形外科理論の発達と姿勢教育理論への貢献、小児科学の確立と子供の健康教育理論の成立など、しつけと身体配慮と云う近世教育の一つの伝統を形成して行った。 近代教育が身体一般を教育の対象とすることになった時、こうした近世教育を支えていた文化的伝統の多くが捨てられ、近世文化は近代教育の中で解体されていく。ルソーは、学問も芸術も習俗を純化することに役立たなかったと、宮廷モードの文明を否定する。 (15)

 彼は、人間の心と身体の原点(自然性)に立ち戻って教育を構築しようとする。 身体は「精神の命令に従うために十分強くなければならない。」(16) 身体は、そこから人間の知が生成する場であり時となる。

 グーツムーツが文明社会における生活の堕落状況を指摘しながら、新しい運動方法の開発を手がけたと同時に、その運動内容を身体能力として数量化したことは、まさにこの歴史的文脈において理解できるであろう。近代体育はこうして二つの方法的側面、すなわち文化的側面と科学的側面を表裏一体のものとして成立した。これが「からだの発見」 (17)である。そして、この両面をつなぎとめていたのは近代教育の教育目的だったと解釈することができるであろう。体育学の祖型はすでにグーツムーツにおいて成立していると言えるであろう。そこでの ”Körper”と”Leib”の使い分けが意識されていたとすれば、それはまさに科学と文化の問題であると解釈することができる。


 

2.身体運動の言語コード化

 グーツムーツの思想課題は、フランスではアモロス(1770-1848)に見ることができる。スペインでぺスタロッチの教育方法にもとづく教育実践をしていたアモロスは、1820年代からフランスの軍隊、病院、学校と連携してジムナスティークという身体・道徳形成術を普及させた。現代のフランスにおいて、アモロスを高く評価している著者はまれだが、少なくとも本稿の文脈においては、きわめて顕著な注目すべき業績を残していると評価できる。何故なら、アモロスはグーツムーツの科学的課題をさらにおしすすめ、とりわけ兵士の体力トレーニングにおいて徹底した数量化により運動処方を行なうという方法を開発したばかりでなく、身体運動に対して文化的道徳的目的を与えるために身体運動の言語コード化という問題と正面から取り組んでいるからである。その詳細については拙著 (18) にゆずるとして、ここでは、彼の行った運動記述の教育思想史的意義について述べておく。

 アモロスの主著『ジムナスティーク的道徳的身体教育教本』(19) は上下2巻と図版冊子からなり、その大部分はシステマティックに並べられた身体運動の記述に費やされている。 しかも彼は、一つ一つの運動課題の記述を身体部位の位置関係や力伝達の感覚に関する合理的記述によっておこなっているばかりでなく、その運動が用いられた歴史やその運動を行った人物の人格などにわたる記述を丹念に挿入するのである。

 これがために、後世の研究者はアモロスの文才の足りなさや、余計な蛇足と逸脱の趣味、あるいは文脈の混乱であると考えた。しかし、アモロスは確信をもってそのような構成をしたのである。 (20)

 指導実践においても、彼は運動と言語、歌、詩を同時並行的に提示し、あるいは実施させるという方法をとっていた。身体運動はそれのみでは道徳的に無方向な事象であり、これを方向づけるには当該の運動の物理的記述(あるいは今日流に表現するならバイオメカニクス的記述)とともに文化的道徳的記述をまとわせなければならない、というのがアモロスの確信だった。



それ故、彼はとくに後者の記述を運動目録の中に含めることになったのである。同じ理由によって、彼は曲芸的な運動課題の追求をめぐって文化と科学の板ばさみ状態になってしまう。道徳的にそれは虚栄であるとすれば、科学的に体力と技能を高めるには卓越性をめざす活動は不可欠である。アモロスのトレーニング・プログラムの多くは競技的性格を露見したものとなっている。彼がいかに古代ギリシア人、ローマ人の勇敢さ、忍耐強さ、敏捷さ、活発さ、誠実さ、友愛などの事実を運動記述の中に並べ立てたとしても、古代の習俗は、王政復古の社会の一元的価値とはなりえず、古代の復興は望めなかった。

彼のこの葛藤は明らかに、近代教育が近世教育から脱出するときに捨て去った文化問題を引きずっている。アモロスの時代、たとえば、かりに今日のスポーツ活動のように、社会的正当性が保障されている身体運動の文化が存在していたならば、アモロスはただその文化的与件に言及するだけで自己正当化ができたはずである。象徴的な一例をあげるなら、彼は、長い棒を使った巧みな壁のぼりの技法を生徒たちに教えたことで「泥棒学校」と呼ばれたことに激怒している。 (21) アモロスは、言葉なき近代の身体に言葉を与えようとして、道徳のテクノロジーを構想したが、体力・技能の科学的 追求と社会的有用性追求の二つの間で葛藤していたのである。

 

3. 教育的技芸観の変遷

 以上のような、身体運動の言語コード化は、文化的与件をはぎ取られた身体に新しい意志の形式を構築するという近代教育の教育目的に正当性を与えるために必要だったのである。しかし、アモロスの企てから分かることは、身体一般は近代的人間の形成にとって不可欠の対象となっていたが、アモロスは身体を道具として対象化したため、力の場としての身体の開発と道徳目的とが必ずしも全面的に結びつかないというジレンマに陥ったのである。高いパフォーマンスは、それに向かう人間の想像力を刺激し、強い意志を生み出す可能性があるけれども、それを誇示(競技)することは、見方を変えればひとつの虚栄心の表れとされる可能性もないとは言えない。 事実、人間の心を形成するという教育目的の領域では、近代教育の成立以前から人間の心の働きの自由さへの危険性が指摘されている。中世の教育は心の働きを神に向かう方向に限定し、身体的なるものを危険視する。

チボーによれば、14・5世紀の宗教会議は、乞食僧、物真似師、旅芸人、軽業師、道化役者、ザレ歌師などは反キリスト教的な存在であると定め、「古代の軽業師以来、力技師 (Tombeors)や跳躍師(espringeos)たちによって継承されてきた身体的伝統のいっさいが打ち捨てられ、なお致命的なことには、破廉恥、無信心、異端といった烙印が押された」 (22)のである。チボーはまた、知的教養の領域である中世大学のスコラ学が身体的なるものを介するあらゆる技術や職業を「機械的技芸 (arts mécaniques)」として切り離し、根本的に不信なものと見ていたとして、17世紀ですらこの種の技芸に関する著者たちは、その正当性を主張するために気をつかっていると、テヴノーの『水泳術』 (1685)の例をあげて説明している。(23) ここで「身体的なるもの」と曖昧な表現を筆者が用いるのは、それが18・9世紀的な発見された身体ではなかったという含意からである。身体一般はまだ教育的言説の中心になく、技芸の特定のものとその職業の人格が特化されたかたちで低く位置づけられていたと理解できる。

 

 


  18世紀の啓蒙主義は、こうした職業蔑視の偏見を一掃する。ディドロとダランベールの『百科全書』は、かつて機械的技芸の職人とされた手仕事の親方衆を執筆陣に加えている。技芸は知識としては平等の位置づけを獲得する。これはジムナスティークが身体一般の教育術として脚光をあびるための背景と考えられる。ただし、ディドロは、当時のフランスでは、ジムナスティークの古物研究は盛んだが、実践への趣味はかなり以前から衰えているといっている。 (24) 先に述べたとおり、ルソーはアンシャンレジームの宮廷文化を、新しい時代において新しい社会をつくる人間のためには役に立たないものと考えた。宮廷人やその取り巻きの人間たちがつくる社会において、儀礼的行動の技法はそれなりに彼らの生きるための術として稽古すべきものだったし、家庭の婦人や子どもの身体への眼差しが強まるのも、やはり生活の確実さを求めてのことだったのである。しかし、ルソーの目には、そのようにして生きる人間のありさまが、「自然な」人間の心をゆがめることにつながっている。ルソーにしても、育児の方法やその後の教育の方法は、個人が社会の中にあって社会を変革しながら生きていくための手段だった。

 

個人は必然的に社会に依存するが、それにもまして社会を正しくする義務がある。ルソーの基本的命題は、近代的な「個 =主体」はまずなによりも道徳的判断者として生きる意志を持つように形成されねばならない、ということである。彼は、前世紀末のイギリスで育児と教育について書いたジョン・ロックの教育の考え方が、自分とは逆さまだと指摘するのはこのためである。 (25) 要するに、ロックが大人から子どもへの教育的価値伝達であるとすれば、ルソーは子どもから大人への教育的価値創造だと言えよう。

 しつけに関わる身体的技法について、ロックは既存の宮廷的礼儀作法の価値観に基づいて、剣術やダンスや乗馬の稽古をさせるだけでよかった。しかし、ルソーの子ども、すなわちエミールはそこへ向かって育成されるのではないとすれば、一体どんな身体的技法を稽古すればよいのであろうか。ここであえて「稽古」という言葉を使うのは、身体一般の機能的トレーニングとの差異を示したいからである。エミールにはそうした稽古は不要となる。子どもの身体は、初期の強い体質をつくる育児の中心にすえられた後、外界に働きかけ自我を形成するための経験の場であり時間となる。 (26)


どんな些細な動作も「事物の教育」の中では必然的意味を持たされる。ルソーが「事物 (les choses)」という時、そこには走る、転ぶ、跳ぶ、投げる、登る、といった一定の運動形式の他にあらゆる四肢の動きや、動作が行われる環境条件や、動作に伴う感覚や情動などの心理的条件が含まれている。これらは、子どもの心の中で動き出す想像力を調整し、欲望と能力の均衡を保たせる手段 (27) であると同時に、そこで盛んに働く「感覚的理性」 (28) によって知的理性の基礎をつくる手段と考えられている。エミールの身体は、自己保存のために文化を身にまとうのではなしに、理性を身にまとうのである。ルソーは音楽文化すら「理性の試練」にかける。 (29) 文化は心を養うどころか、むしろ心をゆがめる危ないものであり、虚栄でしかないと考えている。エミールはまず身体を学ぶのであるが、ルソーはその教育過程に 多くの事例をあげているものの、そこには特にこれを稽古しておけば間違いないといった内容は示していない。しかしそれにしても、文化なしでは済まされない。

 

 

 あえて指摘するなら、近代教育の身体の文化的背景は古代ギリシアであろう。ルソーの時代の著者たちは例外なく、古代ギリシアの人間像を理想化し、古代を道徳の範型とあおぐ傾向があるが、ルソーもその一人である。彼は、ギリシア競技のイメージの中に、身体の公然性と公衆への公開性を通して、彼が『社会契約論』 (30) のキーワードとした「個別意志」から「一般意志」への全面譲渡説のひとつの具体像を『ポーランド統治論』(31) の中で描いている。オリンピア祭典競技を模倣する企てが世紀末の近代オリンピック復興までに数多くなされた事実は、レンナルツの論文 (32) が明らかにしているが、これはヨーロッパ社会の文化的状況を示しており、しかも、それらのどれもが、習俗の一元化という教育作用を社会にもたらすようなものになりえなかったのである。その理由は、これまで述べてきたような近代教育における 身体観、技芸観と関わりがありそうに思える。また、オリンピック復興も以上述べてきた教育思想史の文脈に関わっているように思える。


 

4. 20世紀新体育の身体

 体育史において諸流派の乱立と方法論争として特徴づけられる20世紀の新体育の諸理論は以上のような教育思想史の文脈の中でどのように読み取るべきであろうか。

 アメリカではヒッチコック(H. Hichcock, 1828-1911)やサージェント(D.A. Sargent, 1828-1918)らの人体測定、筋力測定、ギューリック(L.H. Gulick, 1865-1918)のスポーツ競技成就テストなどの仕事を基礎として、20年代に数学の統計術を応用した体力測定法が開発される。フランスのデムニー(G. Demeny, 1850-1917)が運動軌跡の分析法を開発する。一方、こうした身体運動の知的形式(数学・幾何学など)から導かれる分節的運動方法に反対して、エベール(G. Hébert, 1875-1957)>は、別の知の形式である自然への参照による自然的運動方法(メトード・ナチュレル)を普及させる。スエーデンではリングの弟子テルングレン (L.-M. Törngren, 1839-1912)らが運動姿勢の課題を精密化、規則化し、一時、抑圧的特徴を強めるが、ファルク(E. Falk, 1872-1942)>やビョルクステン(E.Bjorksten, 1870-1947)は女子と子どもの特性に適合するように、過度の筋緊張を要求する硬直した方法に反対して筋肉の緊張と弛緩を繰り返す動的な運動方法を主張する。

ステビンス(G. Stebbins)はこの緊張・弛緩を呼吸の機能に求める。デンマークではブック(N. Bukh, 1880-1950)が、姿勢課題中心の方法に反対し、動作の連続、律動、弾性、柔軟性、自由性を重視した強い伸展動作を特徴とする「基本体操」(Grundgymnastik)を開発する。ドイツでは、メンゼンディーク(B. Mensendieck, 1864-1959)が女性の身体美への要求にこたえる運動方法を広める。メンゼンディークは、身体に関する科学的認識と動きの努力とを統合することによって「筋肉を聡明にする」 (Spiritualisierung des Fleisches)という。同じく、ダンカン(I. Duncan, 1878-1927)、ラーバン(R. von Laban, 1879-1958) 、カルメイヤー(H. Kallmeyer)らは、身体の芸術的・美的姿勢や動作の表現性を運動課題として女子体育に貢献している。この方面では、19世紀的運動訓練法は、動きにリズムと表現性を与えることによって克服されていく。スイスのダルクローズ (E.J. Dalcroze, 1865-1950)は筋感覚を介した音楽教育を追及し、「リトミーク(Gymnastique rhythmique) という方法を確立する。

 こうして、身体運動の研究は機能主義に向かい、身体運動のエネルギー的側面に続いて、その内的表象や意識の深層などへの側面も示している。


  たとえば、ダルクローズの影響を受けたボーデ (R. Bode, 1881-1970)は、人間の知性の非自然性を告発する。ユルマンによってその理論的特質を要約しておこう。知性は本来的に身体運動を捉える形式ではなく、運動の知的把握は困難であるから、スポーツもスエーデン体操もともに知的抽象化の産物だとし、動物的運動に認められる根源的生命リズムの表現(生命的全体性)を理想化する。彼は「人間は生命と訣別した」、人間は生命と対話できなくなってしまった、「人間の意志と知性が人間を生命的なものから引き離す」と述べて、文明状況下の技術化された世界では人間は抑圧され、意志の介入する運動すべて、人間的身体運動のすべては不幸だとする。このように、悟性的認識の無能を宣告するボーデは、ジムナスティークこそ「魂の破壊者たる意志の振舞いを制限する」ような心身の「完全な即応可能態」 (Entspannung)を作り出す場であるから、その役割は知育、徳育の補助手段などではなく、非合理的根源たる生命との再開の場なのだという。彼のジムナスティークは「表現体操(Ausdrücks gymnastik)」と名づけられ、運動形式ないし動きの刷新よりも、むしろ指導者のゲシュタルト的指導を要求する。(33)

 こうして彼は、ついに身体を世界認識の手段であると宣言することにより、知性の身体への権利を剥奪し、一元的全体性原理を求めて、もっと超越的な非知の知へと身体をいざなう。同じ傾向はディーム (C. Diem, 1882-1962)にも認められる。ユルマンによれは、ディームは人間みずからが身体的かつ心的意識を完全に把握し、その内奥の根源的リズムに耳を澄ますこと、すなわち「エアレープニス (Erlehbnis)」という内的認識のための体育を主張し、生命の具象「レーベンスフォルメン (Lebensformen)」としてのスポーツやトゥルネンの活動を人間の意識過程として理論化しようとする。(34)

 このように、20世紀の新体育の諸理論は、科学と哲学の両極へ向かって限りなく展開をはじめ、かつての身体 =機械的構造の道徳形成を、今度は、有機体的個の心理=運動の全体性を目指す機能主義教育全体の中へ体育を融解させることになる。奇妙なことに、この広大無辺の哲学的身体教育論と運動性の教育論とは、ともに体育方法上の教義の正当化にはしり、近代教育が願っていた身体一般の内実にかかわる文化との関係をますます遠いものにしていくのである。

 


 たしかに、哲学はデカルト的実体論を克服しようとしていた。「われわれの世紀は、《心》と《身体》の境界線を消し去った。そして、つねに肉体に基礎をおき、つねに(その最も肉欲的な面においてさえ)人間同志のつながりに興味を抱きつつ、人間の生活を、精神と肉体とを通すものとして、それを通して眺めるようになった。」(カーン)(35) あらゆる心理現象は志向的なものであるとするブレンターノ(1874)、非空間的精神と空間的に広がっている身体との関連を説明しようとした従来の哲学の矛盾を、人体解剖学的用語によって記述しようとしたベルクソン(1888)、

経験されたとおりの身体(Leib)と科学的研究の対象としての身体(Körper)とを用語上区別し、諸現象の原因や内的性質に関する客観的理論を考慮しないことによって、純粋主観的知識を正当化しようとするフッセル(1913)、《私はすなわち私の身体である》として精神的なものを前提とする身体論を排除したマルセル(1914)、私はまず最初に私がどんな種類のものであるかを問うことなしに、私が存在についてどう考えるべきかを直接問うこと、そもそも何を意味するかを問うことによって私の実存の本質的部分となり得るとするハイデッガー (1927)、主知主義と経験主義の双方を告発するメルロー・ポンティの《生きられた身体(le corps vécu)》概念などなど、これら哲学はまさに、20世紀新体育の諸理論の上にくっきりと影を落としているといえよう。


 

5. オリンピズムの身体と文化

 クーベルタンの思想形成の経過についてはここでは立ち入らずに、ただちに彼のオリンピズムという教育思想を、これまでの論述の文脈に関係づけてみたい。従来、筆者はクーベルタンの立場から何が見えるのか(36)(37)(38) について論述してきたが、ここでは、教育思想史の立場に徹して、彼の思想の意義を考えることにする。なお、この論考に用いられている主要概念については別途、拙著(39)を参照してほしい。クーベルタンの出発点には、近代教育が自己発展をとげてきた以上のような文脈に見られる教育思想史の課題がすでに置かれていたのである。事実、クーベルタンは20世紀の知の状況を啓蒙主義的知識観の破綻であると指摘し、生きることを教える実効性のある哲学の不在を嘆いている。 (40)

 彼のイギリス・スポーツの発見は、近代教育の身体がまとうべき文化的内実の模索の文脈において理解することができる。とりわけ、文明史の認識をベースとした彼のオリンピズム思想の中の身体は、近代教育が物理的時間の中へ解放した身体一般の文脈を思想課題としている。

 オリンピック復興の事業は、単純に考えれば、古代ギリシアへの憧れには違いないが、その憧れの意味はまさに、とりわけ近代教育の身体に期待されてきた文化問題へのひとつの解答でもある。(41) 近代体育には身体の文化的内実が不在であったと、彼は明言している。(42) クーベルタンが発見したイギリス・スポーツは、イギリスパブリックスクール教育の中で、身体であり文化であるものとして一定の正当性を確立していた。クーベルタンは、スポーツはイギリス文化の独占物ではないとして、 (43) それを一挙に人類文明史の原理にまで普遍化することによって、近代教育の思想課題に答えようとしているように見える。オリンピック復興は、彼にとって「身体文化の強固な組織化」 の実現による教育学の改革の鍵である。(44) クーベルタンは、「スポーツ本能(l'instinct sportif)」という言葉によって、個人としての人間と文明史の双方を貫いている根源的なエネルギーについて教育学は気づくべきだと言っている。 (45)(46) 近代体育が「身体的なるもの」を探し求めたとすれば、クーベルタンは「スポーツ的なるもの」を探し求めることになる。


 クーベルタンにとって上記のような教育学の文化問題は、哲学化と科学化へと突き進んでいた新体育の問題でもあった。20世紀新体育の身体は、より一層、知によってその内奥まで捉えられ、有機体的全体性を帯びてくる。これに対するクーベルタンの文明史的身体は、スポーツという普遍文化を構築するために、さらに、心理的普遍性をも帯びることになった。 彼のスポーツ科学批判(47) と機械的トレーニング批判、(48) 「筋肉の記憶」概念(49) は、20世紀新体育の文脈において理解できる。また、彼の心理的運動記述の主張(50) は、アモロスの道徳テクノロジーにおける運動記述の思想課題に連接している。クーベルタンにおいて、アモロスの競技的なものへの禁忌は解放へと逆転する。クーベルタンにとって、スポーツの道徳的効用とは、アモロスのように身体=機械の中に言葉を注入し 、道徳を肉化することを意味するのではなく、筋肉とともに解放された意志が自らの限界へ向かって自己発展することだった。クーベルタンによれば、スポーツ競技こそが「道徳的肉づき」 (51) をつくるのである。

 

 以上のように、クーベルタンのオリンピズム思想は近代体育の思想史的文脈に乗っている。こうした文脈の連続性のすべては、彼のオリンピズム思想が近代教育の身体を人間的な時間の中へ取り戻し、文化的所与を持った文明史の身体の可能性を提示しているように思われる。しかし現実を見ると、オリンピズムという彼のスポーツと教育への双方向的な仕掛けは、当時のスポーツ界には全く理解されることはなかった。彼は教育学に対してスポーツ的なるものを要請したのであるが、それは身体という自然を科学的な知によって育成し開発する教育であるところの合理的ジムナスティーク(健康と体力)の自明性への批判であり、またさらには児童研究の自明性への批判であった。

 彼は一方の過剰から他方の過剰へと向かう人間の自由意志の限りない往復運動を包摂する概念をマクロな文明史として捉え、その視座から近代教育の相対化に挑んだ。しかし、彼のスポーツ的なるものの普遍性は、それ自体、人間性の根源を意味するのであれば、人間的自然という近代教育の完成可能性の言説の中に止まっているに過ぎないものであろう。 オリンピズムの教育学の対象は子どもではなく、青年であるということは、ルソーの言う「人間の教育」(cf.16) の時期の重要性を主張したということでもある。

 


 彼はルソーの批判者であり、絶対的平等主義の反対者であった。それ故彼は、必然性の相のもとにある人間性の超越論的根源に対し、その中にあって未だ日の目を見ていない、がしかし何らかの契機によって芽生え、過剰に向かって繁茂し、そして制度として永続し、過剰の故に死滅するといった、歴史的時間性を帯びたスポーツ的なるものの本質を「スポーツ本能」と呼んで文明史の文脈に組み込もうとした。しかし結局、それはやがて、良きスポーツとしてのアマチュアリズムやフェアプレーといった言説によって正当化され、 さまざまな権力のディスクールに捉えられたのである。

しかし、誤解であれ何であれ、このスポーツの教育的正当化過程がなければ20世紀のスポーツは大衆文化として発展してこなかったにちがいない。大衆文化は逆に、クーベルタン的普遍主義の反対項に立つことによって、現代教育をも巻き込むかたちで発展してきたように見える。そして、現代スポーツはすでに、クーベルタンに言わせるなら「スポーツ的なるもの」の過剰に向かいつつ、メディアに取り込まれたもっとグローバルな文化的正当化を背景にして大衆的合意を形成しようとしているように思われる。


 

6. 要約と考察

 冒頭に述べた通り、本稿は近代体育とクーベルタンと題し、体育学の問題を教育思想史の視点から検討し、体育学のあり方に対する何らかの基礎的視座を提供しようとした。これまでの論述の要旨は以下の通りである。

 

1. 近世ヨーロッパの教育は身体を健康や技芸を内実とする心のか たちとして捉えていた。

 

2. 近世教育において、技芸文化と融合していた個別的身体は、近代にいたり、身体一般として捉えられ、身体一般を教えるという新たな教育が登場する。

 

3. この新しい教育としての近代体育の身体一般は自然の側に置かれ、伝統的技芸の文化的与件を剥奪された空疎な身体となっただけでなく、物理的な時間軸の上での機能の場となった。

 

4. 体育学の祖型はグーツムーツの体育論にあり、その成立過程において身体と文化の二つの側面における教育的創造ということが思想史的課題となった。

5. アモロスは身体トレーニング方法の科学化と運動の言語コード化による道徳形成を企てたが、身体の高度な機能開発と道徳的規範との間でジレンマに陥った。

 

6. 近代教育における技芸文化の問題は、道徳的規範の具体像として捉えられ、常に古代ギリシアの文化への回帰傾向が見られ、19世紀の間、これに代わる文化創造はなかった。

 

7. 20世紀の新体育の諸理論は、哲学的動向を反映し、身体の内奥に一元的全体性原理を求めたことにより、さらに超越的な非知の知へと身体をいざなうことになり、科学と哲学との間でますます人間を捉えることが難しい状況を現出させた。

 

8. クーベルタンのオリンピズム思想は、近代体育の身体問題と文化問題の両方を捉え、身体一般に対して身体固有の文明史的時間を与え、スポーツの心理的記述によって筋肉と意識を結合し、身体に文化を取り戻そうとした。しかし、これは近代教育における身体と文化の近代問題を深化させることにもなっている。

 


 さいごに本稿の論述をふまえて若干の考察を加えて終わりたい。体育学は今日でも教育という社会システムのひとつである以上、近代教育が求めた身体一般を教育の対象とすることについての哲学的正当性を立証しつづけなければならない。そればかりか、近代体育が模索した文化問題について自己責任を背負っていると認識すべきである。この思想課題は体育学だけでは容易なことでは決着がつかない。

 体育はその後の歴史の中で今日まで、身体、運動、教育の間の形式論理による自己規定に終始し、体育とは何を教える教育なのかという、この教育哲学の課題を少しも達成してこなかったとユルマンは言うが 、同じ言葉が教育学に対しても言えるのではないだろうか。

それよりも前に、哲学そのものがすでにユルマンが教育ならびに体育に要求するような純粋さを失い、自己言及に向かって限りなく歩みを進め、意味や言語や身体といった哲学が世界を語るための思考の媒体について語っている。日本の哲学は、日本語という言語の特質を問題にし、翻訳用語ばかりの純粋哲学を批判し実践哲学を模索する動向もある。教育哲学もまた、教育目的論のやり場に窮している。分析哲学に一つの可能性を求める説もある。体育学の現状はこうした哲学や教育学の現状と無関係ではない。21世紀に体育学が多元的価値の社会の中でどのような道を選択するにしても、身体問題と文化問題の思想史的課題はどこまでもついてまわることであろう。

… 完 …

【 Notes and References 】

(1)         山本徳郎(1998) 『「考える人間は堕落した動物である!」か?:「身体」,「健康」「運動」概念の再考』(体育学研究、第42巻、第6号、p.427-435

(2)         Vigarello, G. (1978) Le corps redressé, Histoire d’un pouvoir pédagogique, Paris, Jaen-Pierre Delarge « Corps et culture, 7 ».

(3)         Ibid. pp.17-25.

(4)         エリアス、N.波田、溝辺、羽田、藤平訳(1981) 『宮廷社会』、法政大学出版局

(5)         Vigarello. op.cit. p.54

(6)         Spivak, M. (1972) Les origines militaires de l’éducation physique en France, 1774-1848, Paris, Thèse de l’INS.

(7)         Guibert, le comte Jacques Antoine Hippolyte de (1770) Essai de tactique générale.

(8)         Ibid. p.6

(9)         Vigarello. op.cit. pp.88-92

(10)     Ulmann, J. (1965) De la gymnastique aux sports modernes, hitoire des doctrines de l’éducation physique, Paris, P.U.F.

(11)     Foucault, M. (1975) Surveiller et pubir, Paris, Gallimard, p.154

(12)     Thibault, J. (1977) Les aventures du corps dans la pédagogie française, étude hitorique et critique, Paris, J.Vrin

(13)     Ibid. p.166

(14)     Brouzet (1754) Essai sur l'éducation médicinale des enfants et sur leurs maladies, 2 vos. Paris.

(15)     Rousseau, J.-J. (1750) 山路昭訳『学問芸術論』ルソー全集4、白水社

「今日では、より精緻な研究とより洗練された趣味が、人間を喜ばす術を道徳律にしてしまい、われわれの習俗は悪しき、偽りの画一性に支配され、すべての精神は同一の鋳型に投げこまれているように思われる。たえず礼節が要求し、行儀作法が命令している。」pp.17-18

(16)     Rousseau, J.-J. (1762) Emile, ou de l’éducation, Paris, Ed. Garnier, 1961, p.7 « Tous ce que nous n’avons pas à notre naissance et dont nous avons besoin étant grands, nous est donné par l’éducation. (...) Le développement interne de nos facultés et de nos organes est l’éducation de la nature; l’usage qu’on nous apprend à faire de ce développement est l’éducation des hommes; et l’acquis de notre propre expérience sur les objets qui nous affectent est l’éducation des choses. »

「われわれが生まれながらにしてもたず、長じて必要となるものはすべて、教育によって与えられる。(....) われわれの能力と身体器官の内部的発達は自然の教育である。この発達を活用するのが人間の教育である。そして、われわれの心を動かす事物について自らの経験を獲得することが事物の教育である。」

(17)     清水重勇 (1975) 『わたしたちのからだと近代社会』(成田十次郎、山本徳郎、清水重勇『私たちと近代体育』福村出版、pp.9-70

(18)     清水重勇 (1999) 『スポーツと近代教育、フランス体育思想史』紫峰図書、上、pp.49-294

(19)     Amoros, col. F. (1839) Nouveau manuel d’éducation physique, gymnastique et morale, Paris, 2 tomes et 1 pl., Libr. Encyclopédique de Roret

(20)     Ibid. Tome1, p.xvii « Quelques personnes pourront penser qu’on aurait pu supprimer de cet ouvrage toutes les relations de faits généraux ou individuels que l’on cite, et que l’on peut trouver ailleurs répandus dans plusieurs ouvrages »

「この著書に引用された、他の多くの書物で特によく知られているような一般的あるいは個別的事実は、どれも削除されてしかるべきだと考える向きもあるかも知れないが、まさにそれだからこそ、この著書にまとめ上げ、各々関連する訓練の項目ごとに載せるのがよいのである。」

(21)     Ibid. tome 2, p.77 « La leçon que vous venez de donner est un bon ‘passe-partout’ pour les voleurs, me dira-t-on. (....)Je répondrai : (....) ce n’est pas dans mon école, et en suivant mes principes, que l’on apprendra â faire du mal (....) »

「今あなたが指導したレッスンは、泥棒にもってこいの《合鍵》のようなものだと、人は言う。(....) 私は答える。(....) 私の学校では私の原理に従っており、悪を行なうことを教えるようなことはない、と。 (....)

(22)     Thibault. Aventures. op.cit. p.170

(23)     Ibid. p.171 (Melchisédech Théveno, 1620-1692) 「この技芸は動作や手の動きによって行われるものであるから、機械的技芸である(….)、この本は水夫や船頭といった、まったく卑しい身分の者たちだけを対象としているように見えるが、(….)よく読めば、水泳術というものが最も生活水準の高い人々にとっても、どれほど大切な術であるかが納得できよう。」

(24)     Didrot et D’Alembert (1750-1780) Encyclopédie, ou Dictionnaire raisonnée des sciences, des arts et des métiers, Paris, 35 tomes. (Article : gymnasitque, tome 7, p.1017) « (....) & les divers usages qu’ils en ont fait, soit pour la religion soit pour la guerre, soit pour la santé soit pour le simple divertissement: cette riche mine n’est point épuisée, mais le goût de ces sortes d’études a passé de mode; & c’est, je crois, pour long-temps (D.J.) »

「古代人が用いていた各種各様の利用法、宗教のための、戦争のための、健康のための、単なる遊興のための利用法、この豊富な知識の源泉はくめどもつきせぬものがある。しかし、こうした知識を刻苦勉励する趣味は過去のものとなってしまった。わたしの思うに、それはかなり以前からのことである。」

(25)     Rousseau. op.cit. p.77 « De toutes les facultés de l’homme, la raison, qui n’est, pour ainsi dire, qu’un composé de toutes les autres, est celle qui se développe le plus difficilement et le plus tard; et c’est de celle-là qu’on veut se servir pour développer les premières ! »

「人間のあらゆる能力の中で、理性はいわば他のすべての能力の合成物にすぎず、最も難しく、最も遅く発達する。ところがこれを、最初に発達する能力のために使おうと言うのだ。」

(26)     Ibid. p.118 «(....) il est forcé de raisonner à chaque action de sa vie; il ne fait pas un mouvement, pas un pas, sans en avoir d’avance envisagé les suites. Ainsi, plus son corps s’exerce, plus son esprit s’éclaire; sa force et sa raison croissent à la fois et s’étendent l’une par l’autre »

「彼は自分の日々の活動のたびに、いちいち理性を働かせざるをえない。彼は前もって結果を考えることなしには一歩たりとも動いたはしない。こうして、彼の身体が動けば動くほど、それだけ精神が明晰となる。彼の力と理性は同時に育ち、相互に伸びていく。」

(27)     Ibid. p.64 « Otez la force, la santé, le bon témoignage de soi, tous les biens de cette vie sont dans l’opinion; ôtez les douleurs du corps et les remords de la conscience, tous nos maux sont imaginaires. »

「力、健康そして自分がよい人間であるという気持ちを取り除けば、この世の善なるものはすべて偏見である。身体の苦痛と良心の呵責を除けば、われわれの不幸なるものはすべて想像力の産物である。」

(28)     Ibid. p.127 « Les premiers mouvements naturels de l’homme étant donc de se mesurer avec tout ce qui l’environne, et d’éprouver dans chaque objet qu’il aperçoit toutes les qualités sensibles qui peuvent se rapporter à lui, (....) . Comme tout ce qui entre dans l’entendement humain y viens par les sens, la première raison de l’homme est une raison sensitive; (...). »

「だから、人間の最初の自然な動きは、身の回りのすべてのものと自分とを比べ、自分が知覚する対象の一つ一つについて、自分と関わりのありそうなすべての感覚的性質を試してみることなのであり(....)、人間の悟性に入ってくるすべてものは感覚から来るのであるから、人間の最初の理性は感覚的理性である。(....)

(29)     Rousseau, J.-J. (1753) Lettre sur la musique françoise.(『ルソー全集』白水社、第12巻、「フランス音楽に関する手紙」pp.355-411

(30)     Rousseau, J.-J. (1762) Le contrat social.(桑原・前川訳『社会契約論』岩波文庫1954年、pp.49-56

(31)     Rousseau, J.-J. (1772) Considérations sur le gouvernement de Pologne et sur sa réformation projettée.(『ルソー全集』白水社、第5巻、「ポーランド統治論」pp.359-472

「強健な体格をつくり、彼らを敏捷ですらりとした体にすることだけが問題なのではなく、規則、平等、同朋愛、競争に早くから慣れさせ、同国人の眼差の下に生き、公の賞賛を欲するように慣らすこと、(....) 賞品や褒章が(....)見物人の判断するところに従って(授与され....)、競技に少し華やかさを添え、見せ物になるように組織することによって、公衆に魅力あるものとなるよう配慮する(ことである)。」(p.378)

(32)     Lennartz, K. (1974) Kenntnisse und Vorstellungen von Olympia und den Olympischen Spielen in der Zeit von 393-1896, Schorndorf, Hofmann.

(33)     Ulmann. op.cit. pp.369-373

(34)     Ibid. pp.380-381

(35)     S. Karn (1975) Anatomy and Destiny, a Cultural History of the Human Body.(喜多迅鷹・元子訳 (1977)『肉体の文化史、体構造と宿命』文化放送開発センター出版部、p.291

(36)     清水重勇 (1989)『クーベルタン、その虚像と実像』(1)(『体育の科学』第38巻第9号、pp.723-727)

(37)     清水重勇 (1990)『クーベルタン、その虚像と実像』(2)(『体育の科学』第39巻第2号、pp.153-160)

(38)     清水重勇 (1996)『オリンピズムはなぜ要請されたのか、その歴史と現在』(『体育の科学』第46巻第8号、pp.614-620

(39)     清水重勇 (1999) 『スポーツと近代教育、フランス体育思想史』紫峰図書、下、pp.505-864; pp.1-99

(40)     Coubertin, P. de (1901) Notes sur l’éducation publique, Paris, Hachette, p.44 « Combien d’hommes, parmi les plus réfléchis et les plus indépendants, arrivent aujourd’hui à concevoir l’harmonie universelle, à déterminer le sens de leur vie, à trouver en eux-même une règle de conduite ? »

思慮も自立性も十分にある人間のうちのどれほどの人々が、今日、存在界の調和について思いをいたし、己の生活の意味をはっきりと認識し、己自身の行為の規律を見出し得ているのか。」

(41)     Ibid.p.127 « (...)elle admire d’ailleurs par tradition classique, sans l’avoir jamais compris. Volontiers, elle crierait à la parodie, (....). »

近代教育学は古典語学習でギリシアの競技者の何たるかも知らずに古代競技の賛美などしているが、これでは声高にパロディーを述べているようなものだ。」

(42)     Ibid.p.141 « Lorsque Rousseau intervint, l’instinct sportif était mort.(....) les admirateurs de Rousseau étaient peu à même de tirer de son enseignement les énergiques conclusions qu’il eût comportées.(....) Dans l’école (de Dessau), les exercices physiques eurent une place d’honneur; (....) Mais, les athlètes firent défaut. »

「ルソーが登場した時にはスポーツ本能は死滅していた。(....) ルソーの礼賛者たちは、ルソーの教訓のような力溢れる結論をほとんど引き出さなかった。(....) デッソウの学校では身体運動が尊重された(....) が、競技者がいなかった。」

(43)     Ibid.p.148 « (....)les autres peuples se prirent à voir là une particularité héréditaire de la race anglo-saxonne (....). C’est là un point de vue absolument fantaisiste. »

「他の国民はスポーツをアングロ・サクソン民族の遺伝的特質だと思い込んでいる(....)これはまったく思い違いというものだ。」

(44)     Coubertin, P. de (1909) Une campagne de vingt-et-un ans (1887-1908), Paris, Libr. Education physique, p.205 « Pour tirer de la culture physique tout ce qu’elle peut fournir pédagogiquement, il fallait commencer par l’organiser solidement.

「身体文化が教育学に提供してくれるものすべてを、そこから引き出すためには、身体文化を強固に組織化することから始めなければならなかった。」

(45)     Coubertin.Notes. op.cit., p.132 « (....) mais ce qui le soutient, c’est l’existence d’un instinct que j’appellerai l’instinct sportif et dont nous tâcherons précisément de déterminer (....) la nature et les caractères »

「(社会や国家)を支えているもの、それは何か本能のようなものの存在である。わたしはそれをスポーツ本能と呼ぼう。そして(....)その本質と特質を明確に定義づけることにしよう。」

(46)     Ibid. p.152 « Gardez-vous de le considérer comme une prolongation de ce besoin de remuer, de cette tendance à se dépenser qui sont innés chez l’enfant. Il apparaît seulement avec l’adolescence et parfois même aux approches de la virilité »

「スポーツ本能を運動欲求の延長だと考えてはいけない。あるいは子どもに内在する活動欲求の延長だと考えてはいけない。それは青年期とともに現れる。時には第二性徴期が近づくともう現れる。」

(47)     Coubertin, P. de (1920) Le sport est roi, discours prononcé à l’hôtel de ville d’Anvers en août 1920, (Textes choisis.tome I, p.623) « Ce n’en serait pas un enfin si une certaine pédanterie scientifique envahissait ce domaine et que, préoccupés de la recherche de la méthode modèle propre à l’entraînement des muscules, les instructeurs sportifs devinssent les adeptes exclusifs d’un jacobinisme physiologique aussi épris de discipline et dMuniformité que peut l’être le jacobinisme politique »

「この分野を科学的好奇心が支配し、スポーツ指導者が筋肉トレーニングに適した模範的方法の研究に没頭し、政治的ジャコバン主義と同じく、規律と画一化を強要する生理学的ジャコバン主義のかっこうの信奉者となるならば、そんなものはスポーツの進歩ではないでしょう。」

(48)     Coubertin, P. de (1905) La gymnastique utilitaire, sauvetage-défense-locomotion, Paris, F.Alcan. (p.116) « (....) on peut le dresser à l’obéissance; il y a une chose qu’on ne saurait lui donner, c’est de l’initiative; (....) »

「筋肉たちを調教して従順にすることはできる。しかし、ひとつだけ筋肉たちに与えることのできないものがある。それは意志の発揮である。」

(49)     Coubertin.La gymnastique utilitaire.op.cit. (p.113) « (....) qu’il existe une mémoire des muscles et que cette mémoire est plus longue qu’on ne pense. »

「筋肉にも記憶というようなものが存在し、その残留は想像以上に長いということだ。」

(50)     Coubertin, P. de (1914) Les pourvoyeurs du royaume d’utopie. (Textes choisis. Tome I, p.611) « Les fondations de l’édifice sportif sont, avant tout, d’ordre psychologique. Ce qui fait un champion, ce peut être parfois sa condition physiologique; mais ce qui fait un sportif, c’est en premier lieu sa mentalité. »

「スポーツの作品は何よりもまず心理学の問題である。チャンピオンをつくるものは、時には生理学的条件であるかも知れないが、スポーツ人をつくるのは第一に彼の精神性である。」

(51)     Ibid.p.169 « Mais parvient-il à fortifier le caractère et à développer ce qu’on pourrait appeler la musculature morale de l’homme ? Voilà sans doute la question fondamentale. »

「しかしとりわけ、スポーツは性格を強くすること、すなわち人間の道徳的肉づきと呼んでよいものを発達させることになるのではないか?恐らくここに根本的な問題があるのだ。」

… 引用注の終わり …

2001年3月執筆 Shimizu Shigeo