パブリックスクール巡り

イートン校

 ウインザー城のふもとに、ロンドンへ注ぐテームズ川が春の夕べの澄んだ暖かい大気の中を静かに流れる。 「イートニアンたち」はテームズの流れなど気にしていないが、テームズは王城や岸辺、緑の影、イートンとウインザーを結ぶ橋の影をどっしりと映している。 しかし、テームズはそれらすべてを映すだけでなく、別のこともする。テームズには流れのままに無数の舟が浮んでいる。 若い暴れ者たちを拒むことも知らず、テームズはその流れをゆるめ、一息ついて、暴れ者たちの競技を助ける…。 この競技は、テームズがもたらす身体と道徳の恵みの第一のものではない。
 行われる競走はたいへん面白いというものではない。コレージュの最年少クラス(ロアー・ボーイ)から選ばれた2チームの競走である。したがって、舟の通航は自由であり、観戦者たちは川岸にたむろすかわりに、みずからも舟に乗っている。 大試合の場合、「キャプテン・オブ・ザ・ボート」が航行禁止の命令を下す。そうすると、川の水面には妨げるものが一切なくなる。 すると、一人のたいへん目立つ人物が立ち上がり、しっかり部署についている漕ぎ手たちを見る。 この役目は職業という面で彼に有益である。彼は鶏の成育の具合を調べる養鶏所の人の目でもって筋肉を詳しく調べる。 彼が受ける評価は町の中にまで広がり、そして彼はこの役目の時は、沢山の注目の的となる。とりわけ小さな子どもらは無言の憧れの目で彼をみる。子ども等にとって、彼は何か神に近い崇高な存在のように見える。 彼からほど遠くない、しかしはっきりとは見えないところに、イレブン(クリケットではもっと強い)のキャプテンがいる。 この二人はともに背が高く、頑丈な姿をした体の出来上がった男である。
 川面には、軽いカヌーや竿で動かす重いはしけ、婦人らを乗せるボートなど、ニス塗りの木がたくさん浮かぶ。これらすべてが、てんでに掛け声をかけ、そして、遠くでスタートの合図が聞こえると、大騒ぎをはじめる。 川岸には舟がひしめき、互いに離れないよう舟べりを付け合う。 まだ数人の小舟が、気に入った隣人を探して巡ってくる。気の毒な先生は舟をつける場所を探している。ボートが走ってきた時、大勢の家族があおりを喰らって水に落ちないよう、力一杯漕いでいる。 今や、コースの上は何もない。そこへボートが走ってくる。8本の足で懸命に水をはね上げながら進む胴長の昆虫。 その後ろは、たちまち舟の群がふさぎ、舟の上は総立ちとなり、同時に勝者の名をたたえる叫び声が起こる。
 しばらくすると、イートンの長い道は人間の渦で埋め尽くされる。手足がこんがらがって、どれが誰のか分からぬほどになる。 その渦の中で、2人の少年が意気揚揚と仲間の肩にかつがれている。これが勝ち誇るチャンピオンだ。2人は「ホイスティング」という賞賛の胴上げをされているのである。 すさまじい騒ぎとともに奇妙な行列が「ヘッドマスター」の家の窓の前にできる。 フランスの校長だったら、この騒ぎに卒倒して死んでしまうだろう。ヘッドマスターはおそらく何も文句はいわない。彼は姿を見せないのだ。
 翌日、バカなことをしたということになる。これは別に驚くことではない。 2人の悪戯生が4人の婦人の衣服を結んで縫い付けてしまったとしよう。1人の上級生がそれを見つけて、悪戯生を捕まえる。彼は2人の名前と「チューター」の名前を尋ね、謝罪させだのち、仕置き部屋へ放り込むだろう。
「下級生はこの仕置き人を嫌うようになるのでは?」
「いいえ、ちっとも。彼らは彼が自分のなすべきことしかしないこと、そして、その勤めを果たすことを知っています。」
「では、この罪びとたちはどんな罰を受けるのでしょう?」
「罪は重大です。彼らは外部の人間に対して「ジェントルメン」として振舞わなかったのですから。彼らはお医者さんに連れて行かれます。」
「ということは?」
「フロッグ(鞭打ち)されます。」
 イートンは1440年、ヘンリー4世によって設置された。王は城の窓から彼のお抱えの若者たちが草原で格闘しているのを見ることができた。そこは現在カレッジの庭園となっており、木陰の多い素晴らしい庭園だが、城の石垣を堂々と取りかこみ、鬱蒼とした木立の下の芝生の川岸に挟まれてきれいな水が流れている。木立の間からウインザー城の長い正面と大きな丸い塔が垣間見られる。 この庭園は生徒たちがゲームをしているときでも、散歩する人々に開放されており、ほとんど柵もない畑へと通じている。テームズはここの反対側から流れ込む。建物の数々が2つの大きな広場の周りに立っている。広場のひとつ(「アウター・カロラングル」)には創設者のブロンズ像があり、もうひとつの広場は今では、上級生たちが髭をつけた監視員のもとで列をなして運動をやっている。これは任意のものである。
 イートンには約700人の生徒がおり、それよりも多い70の学寮がある。これは親たちにとって比較的安い(たった年20リーヴル[500 fr.])ヘンリー4世はこの学寮に必要なものを与えていた。 これらの学寮は試験を受けて入る。しかし、面白いことは、裕福な者でも自分の息子たちにあえて試験を受けさせることだ。なぜなら、試験に合格することは大きな名誉だからである。 学寮の創設にはもちろんこうした目的がある。しかし、それが真に有益となりうる人々だけに恩恵を限定する方がよくはないか?いくぶん私見もあるが。しかし、大方の考えでは、わたしは学寮制度の性格を理解していないとされた。 入寮試験は自由でなければならず、学校内に他の生徒たちからさげすまれることになるような種別をつくりだしてはならない。入寮は生徒たちの成功であり、この特典が貧しい家庭の子である印しとなるべきではない。
 今、ざっと寄宿生が夕食をとる大食堂を見たところだが、彫り物がほどこされた壁と食器戸棚、ステンドグラスのある大きな部屋である。わたしの若い案内役の生徒は「彼のおばさんの家」へ「カム・トゥ・マイ・デイム」といって連れて行ってくれた。これは普通のフランス語なら「世話人の婦人に会いに行こう」という意味だ。 わたしは彼にしたがう。家はすぐ近くで、明るい花壇の中にレンガづくりの建物があり、蔓の植物が這い登っている。われわれは上手に小間物を飾った広間に入る。こうした小間物はフランスからイギリスに渡ったものだ。 わたしは夫人を待つ。そして現れたのは愛想のある品のよい男だった。男はすぐ、わたしが多分、学寮を訪問したいと思っていると感じ取る。その通り図星だ。
 学寮は30人余の生徒を収容する。わたしは彼らの寮長に会う輝かしい栄誉に浴した。寮長は年長の生徒で、監視し、よい秩序を保つ役目である。 樅材でフローリングされた廊下を行くと、一人の小さな少年が丸椅子の上に乗って、壁に張り紙をしていた。それには「皆さん」に宛てて、彼が金製の鉛筆キャップを紛失したので、見つけた人は彼のところまでそれを届けて欲しい、と書いてある。 この廊下は各部屋に通じており、各部屋は広さも形もまちまちで、とりわけその装飾の仕方がちがう。昨日、別の「ボーディングハウス」に先生の娘さんの案内でわたしの知り合いの生徒に会いに行った。娘さんはわたしと一緒に学寮に入り、軽いおしゃべりをしているところへ、わたしの若い主がクリケットから戻ってきて、驚いたことに手を洗おうと考え、その上あつかましくも、お湯を所望する。 なんと女々しい。何をしようと言うのか。イギリス人は子どもお湯をやらないと、手を洗わないと考えている。この学寮は「チューター」の寮で、チューターとは、勉強を教えたり仕事の手伝いをすることなく寮生を受け入れる人のことで、「デイム」と呼ばれている。これでわけが分かった。
 イギリスでは沢山の学校物語がある。理由は簡単だ。「パブリックスクール」の生徒たちはそこで人生で一番幸せな時代を送る。彼らはそのことをしっかりと覚えている。そして彼らの同僚たちの話しの中にその忠実なイメージを見出す。加えてこの活発で自由な麗しい時代は多くの著者たちに材料を提供するのである。 「デイム」の机の上には、たしかにイートンの校章のついた分厚い本があった。頼んでそれをちょっと見せてもらった。それは読みやすかった。というのも、やさしい文体で飾り気なく書かれているからである。そこには、ある「イートン・ボーイ」のカレッジ入学から卒業の朝、「ヘッド・マスター」に別れの挨拶をするまでの印象記があった。 つぎにその一部を示す。「年度始めの10月、混雑する戻りの列車に揺られながら、彼ら若者たちは家を離れることに本当にまったく残念そうなようすを見せない。彼らは口々に自分のこの夏の手柄話しする。多少の誇張もおそらくあるだろうが。さまざまなニュースが取りざたされる。新年度の計画が練られる。ウインザーが近くなると、最初に目につくものは古いカレッジの鐘楼だ。 列車はやがて線路を走って目的地の城門前に停車する。年老いたコック長は問題の山に悩まされ、同時にすべてを解決することなどできないので、まったく不機嫌な顔をしている。各自が自分の部屋へ上がっていく。そして大騒ぎのうちに片付けが終る。 そして翌朝、目を覚ますか覚まさぬうちにドアがノックされる。「どうぞ!」それは「フットボール」の会費を徴収する熱心な会計係だった。
 フットボールは冬一番の人気スポーツである。つぎに、騒々しい雪合戦、氷滑り、野山での撒き紙競走、そしてさいごに、春の到来とともに、クリケット、カヌー漕ぎ、水泳がくる。 生徒の本分のほかにしなければならないこれらすべてのことを考えると、「イートン・ボーイ」は自分が非常に忙しい人間だと考える権利が本当にあるだろうか。そして、こうやって一年一年がさいごまで続き、そのあいだ中、あらゆる許された特権が享受される。 「第6フォーム」(最上級)になる日、某生徒は「ドクトル」の家に呼ばれ、つぎのようなスピーチを聞く。「君は新しい責任が何であるか知っている。良くない事は気がつき次第やめさせること、どこでもよい手本となるよう君のすべての影響力を用いることに留意するのだ。」 この言葉は新しい騎士(なぜなら、こういう使命とともに進級するこの学年は一種の騎士道のようなものではないか)につぎのような考えを吹き込む。「少年が自分の《名誉》ということに貪欲になり、果たすべき役割、守るべき立場があると感じる時、その考えは教師たちの説教以上に自分だけでなく勉強やあらゆる手本に影響を与えるだろう。」 実際、彼は学校で育っていくにつれて、次第に重きがおかれるようになる。つまり、だんだんと言い分が通るようになり、自分が教師の次ぎの立場になったと感じ、自分の重要性が増していくのを知るにつけ、彼はそこから来る責任を考慮し、よい行為をするよう中尉をはらう。 彼は自惚れなくなる。なぜなら、自惚れはエリートのみに許される恩恵とは感じられないからである。それでは、彼は何を名誉と感じるのか。それは年齢である。このような立場で名誉をもたらすものは、手柄を立てることではない。年齢とともに理性・人格がどんな良識を育てるべきかが暗に示される。そして、実際にそうであるように自分の行動によって示す力を、年齢が身につけてくれる。 一方、この若者たちが行使する権限はそれ自体、非常に曖昧でほとんど定義されていないので、それを享受する者たちは、すべてが彼らのやり方と彼らが仲間に与える影響力にかかっていると理解している。したがって彼らはこの権限を慎重に用い、度過ぎないように配慮する。
 「オピダン・ディナー」は、今では「イートニアン」の生活から消えてしまったエピソードだが、それはウインザーの名高いホテル・ホワイトハートで初夏に開かれる会費制のパーティーである。参加するのは「アパー・ボート」のチームメンバーたち、クリケットの11人のチャンピオンたち、それから最上級生「第6フォーム」、全部で50名余である。 会費は約1リーヴル(25フラン)だった。この会の面白いのは、衛生ランニングをはさんで2部に分かれていることだ。カレッジの責任者たちは、この怪しからん会を知らないふりをして見逃しておいて、かならず参加者に呼び出しをかけるのだ。 会の肝心な部分である食事の部が終るとすぐ、参加者たちは大急ぎでウインザーの坂を登り、列をなしてイートンに通じる道を走る。そして、そこでちょうどよい頃に「居ます」と返事をする。それから彼等は、デザートが並び乾杯の酒がビンの中で泡立っている会場にもどるのである。 この乾杯はたいへん長い。ボートのキャプテンの音頭で女王、皇太子、王族の健康を祝し、その栄光のために「ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン」と歌う。そのつぎに次年度の後継キャプテンの健康を祝し、互いの挨拶を交わす。 つぎに「クリケット」そのつぎに「フットボール」と、乾杯ごとに歌がつづく。さいごに「フロレアート・イートナ」というカレッジの古い標語の実現を祈念する。
 わたしはほとんどすべての季節、すべての時間のイートンを見たが、1887年の記念式典の翌日ほどみごとな光景は見たことがない。女王がロンドンから列車でスローまで来て、カレッジを通って、そこで教師たち生徒たちの挨拶を受けるのである。 イートンの創設者の後裔である女王を丁重に迎えるため、何ものも節約されなかった。旗・花飾りが窓々を飾り、この人文の府に相応しいラテン語・ギリシャ語が添えられる。ヴェルゲリウス、ホラチウス、ホメーロスなどがこの日の荘厳さに適した引用句を提供する。 アプローチ道路の入口を「ホース・ガーズ」たちが守り、カレッジの年長生徒たちは自前の制服を着てゴシック様式の尖塔の下に立ち並び、最初の合図で十字紋章の旗を掲揚しようとしている。正面玄関の前には大きな演壇が置かれ、黒い法服の上に赤い綬帯を斜めにかけた教授たちが立ち並ぶ。その横には生徒たちが居並ぶ。年少生たちはシルクハットに短いチョッキを着け、とてもかしこまった姿である。まったく美しい光景だ。いかめしい古い建物、銃眼のある城壁、飾りつけられた柱廊、会場いっぱいの緑の天蓋、空気の涼しさ穏やかさ、たそがれの輝き。
 はるか遠くで絶え間なく車の音がして、行列が近づいていることを知らせる。叫び声を上げながら取り巻いているのは田舎の人々。音楽が奏でられる。列席者たちが起立する。祝辞が運ばれる。それはミサの祈祷書の頁のように彩色画で飾られた羊皮紙に書かれてある。そこにはイートンの紋章が女王の紋章と並んで付いている。そして、葦毛の馬に引かれた車と従者の赤い制服が現れる。 同夜、ウインザーの丘の上に松明行列のジグザクの線が繰り広げられる。「イートン・ボーイたち」は彼等の古い歌をうたい、トーチの光で王室の頭文字を描く。 教授たち生徒たちは、この記念祝典という勝利を通して現れた彼等の祖国の表象を心から賞賛する。イートン校は自律し、豊で力があり、みずからの使命の主人である。イートンは栄冠のようなものは何も要求もしないし望みもしない。

イートン校おわり